推しラジオが終わったから本を作ることにした。
はじめに
好きなラジオが終わると聴いた時、私は結構困った。毎朝、そもそもテレビを点ける気がなく、かと言って無音の中で生活ができるわけでもない。だからこの三年私はほぼ毎朝ラジオを聴いていた。三年前はまだ聴いてる番組が少なく、だからなんとか聴ける限りの聴取期間いっぱいをぶん回して、好きな人たちの喋りを聴く。
フリートークをいつの間にか覚えてツッコミを入れられるようになっても、それでも私はずっと朝、何度も聴いた同じ番組のラジオを聴いていた。だけど、そのうちの一つ、大切な毎週の時間が終わってしまうらしい。
どうしようもなく塞ぎ込み、何もしたくないし誰とも話したくないような気持ちの時もラジオを聴けばなんとかなる。そんな気がしていた。逆に、ラジオが聴けないという時もあった。その周囲にあるノイズに掻き消されるような心持ちがあって、そういう時はラジオきっかけで出会った音楽をかけてあーあ、とため息を飲み込みながらなんとかやり過ごす。聴きながら頭の中でこの音楽たちに出会った回の放送を思い出したりもする。聴くことがしんどくなった彼らの会話を脳内再生しながら、ああやっぱり彼らを通して出逢えて良かったな、と確認して音楽を聴いているといつの間にかまたラジオが聴きたい、と思う。
とどのつまりは、ラジオがずいぶん長いこと、私の生活の真ん中にあったのである。
好きなラジオが終わるという時、この自分の中で収まりきらない「悲しい」とどうやって向かい合おうか考えていた頃、急に「そうだ、本を出そう」と思った。書き溜めてきたブログと、あとラジオについて書きたいいくつかのネタをまとめて整理して一冊の本にしよう。きっとその中心には、お別れするラジオ番組がある。でも、そのラジオ番組ひとつの魅力を言葉にするのではなくて、そういうのがやりたいんじゃなくて、ただただ、この大切を覚えておくために何か「ものづくり」をしよう。
思えば、ずっと「お前には無理だ」と諦めてきたやりたいことに手を出すきっかけをこの三年、ラジオからもらっていた。あまりにも身近なまるで友だちみたいな距離感に彼らはラジオの周波数を通して、居続けてくれた。そうしてその距離感でげらげら笑ったり真剣に話したりしながら、彼らもまた色んなものを作っていくものだから。それが本当に苦しそうで楽しそうで、格好良かったから。
だから、私も何か自分の大切なもののためにものづくりがしたくなった。言葉にして残しておきたくなった。その彼らからもらった時間のことを、なんと呼んだら良いか分からないこの心内を、一冊の本にしたくなった。
そうして、今、あの知らせを聴いた時、あるいはもっと前、ラジオの魅力にどんどん引き込まれる度に書いた文、思っていたことをまとめ直して思う。私は本当に、幸せな時間をラジオからもらってきたのだ。そしてそれは、これからも続くんだろう。そんな願いを込めた文たちに少しお付き合いいただけると嬉しいです。
発表後の数週間の記憶に残っていない神回について
終わることが発表されてから、ラジオがまたどんどん面白くなっていった。そう思う度に複雑な気持ちになるけど、それが私の正直なところだ。ずっとずっと面白かったけど、さらに勢いを増してる気がする。
なんならそもそもラジオの終わりが告げられた一月十六日放送の回も、終わりを発表したあのパートを聴くのがハードルが高くくり返せていないのが悔しいほど、大好きな回だった。前半の志摩スペイン村の話はとんでもなく意味不明でバカバカしくて、私はタイムフリーだからなんの話がこの後待ってるのかが分かっているのに、げらげら笑いながら聴いてしまった。
それから以降、毎週、本当に楽しかった。大切な放送が一回減ってしまう、その度に最終回が近付いて確かに寂しいのに毎週毎週、本当に楽しかった。私は毎週聴きながら、どの回だって今まで好きだったけど、それでもこの最終回が発表されて以降の毎週神回が続いていたあの状況はなんだかいろんなものが異常だったと思う。それは、まるでJAMで今配信されているオールナイトニッポン0が始まった直後のような放送だった。そう思うのは、ちょっと感傷が過ぎるのかもしれないけど。
その場で即興的に言葉を重ねていく。ラジオがあと何回で終わるのにこんな話してる場合じゃないという残り数回の時にはお決まりになったトークもまるで関係なく、二人がずっとくだらない話をしたのが好きだった。
それはある意味で、最終回、私たちが勝手に期待した「良い話」や「特別な話」なんて関係なくいつも通りの放送をしたのが最高だった、その感覚と通じるものがある。そういうところがあの数週の放送にはあった。
中でも印象的だったのは……いや正直に言えば全回感想を書きたいくらいなのだけど……カフ王とイカの回だった。書きながら、意味のわからないキーワードだな、と思う。朝起きてタイムラインを見ながら意味が分からなくて笑い、お弁当を作りながら聴いて笑い、通勤しながら続きを聴いて笑った。ずっと意味がわからなくてでも最高に面白くて、ああそうだ、これが好きなんだ、と聴きながらつい天を仰いだ。あの時に見た通勤の道と空を私はよく覚えている。
福田さんが構成作家に入っているし事前の打ち合わせもあるとは思うけど、ほぼ、その場のノリ、その場で決まったこと、思い付いたことがどんどん展開されていく、そんなラジオが好きだ。さらに言えば、二人のあの絶妙なコンビネーションで全力で相手に乗っかっていく、そんなところが私はたまらなく好きなのだ。
その上、二人の会話はすごい速度で相手の話に乗っかる、あえて乗らないが判断されていて、それがどんどん繰り返されてすごい展開を見せていく。相手の即興の思いつきを広げ、戻し、ひっくり返す。その息のあった呼吸はもう職人技である。私は、これが好きなんだな、と思う。即興的に生まれる馬鹿馬鹿しい与太話。それはどちらかがいれば生まれるものではなくてRさんの神がかり的な発想力、松永さんの読みの鋭さが掛け合わされて無限大になるのだ。そこにいつものハガキ職人たちが乗っかり、油を注ぎまた速度が上がる。
あんなに楽しくて馬鹿馬鹿しい時間があったことを今こうして文に書くために振り返りながら、すごいな、と思う。カフ王とイカなんて、思い出してもよく分からない。なんでそんなことになったんだよ、と思う。だけど、そういう中で生まれたパンチラインや予想外な流れにげらげら笑うのが、私は好きだった。何より、そこで二人が楽しそうに笑っているのが、すごく良かったのだ。
最近思う。ラジオで聴いた話を忘れても良いんだ。忘れて、細かいところが出てこなくても良い。というか、特にくだらない話は土台、ずっと覚えておく方が無理である。でも、なんというか、そういう「ああ楽しかったな」という時間はきっと、なくならない。振り返って、例えば誰かに話しても「何が面白いの?」と聞かれるのかもしれない。実際にあの放送を聞かないと分からないものもあるだろう。だけど、それで良いのだ。というか、それが良いのだ。
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ある冬の日にやってきた「ラジオの終わり」の知らせをきっかけに、自分にとってのラジオがなんなのか考えたくなって、そしたら1冊の本ができました。
ブログの再録ほか、半分くらい書き下ろしのエッセイ集です!

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6月1日東京ビッグサイトで開催のCOMITIA152!むせお(@takikomisan )と合同サークルで出ます!
東2け11a「えす、えぬ、てぃ」
既刊のエッセイも持っていきますが、メインは新刊の小説の予定!小説!出ます!ほぼ書き上がりました!
118ページの「とりあえず一杯のんで」という小説です。これが書きたかったんだ、と思える本にはなりそうで、安心してます。
そして!お品書きができました!!

できました、というより、友だちが作ってくれました。なんか、もう、まじで「人に恵まれている」が過ぎる。可愛くて見やすい素敵なお品書きなので、ぜひ見てください。
コミティアという漫画の祭典に、果たして文字サークルで出ていいものか、とは(規約上はOK)思うけど、でも出たい、なので、出ます!
後日通販予定もありますが、お越しいただけると喜びます!
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