1日50文字で物語する

うそとほんととうそのはなし

おなかすいた

自分で選んだはずのインスタントラーメンの味気なさを机に置いた瞬間思い知ったりする。食べる気がなくなりそうなことに目を背けながら鍋にお湯を入れる。どんぶりに入れた適当な水の量。それに冷蔵庫の中で萎びたキャベツを千切って入れる。
くつくつとお湯になるのを待つ。その中で申し訳程度のキャベツが踊った。気持ちばかりの「一工夫」。
そういや、インスタントラーメンは塩分だかなんだかが高いんだっけ、と思い出したので塩と中華スープの素を入れた。これで、付属のスープの素を少し減らしたらマシにならないだろうか。無駄な抵抗な気もする。ただ、大概のことは「気休め」でやっていくものなのだ。
もう良いだろうと、沸いたお湯へ乾麺を放り込む。少し浸して箸で崩して、また茹でる。崩す、茹でる。何分茹でるのか、というのはそういやそんなに気にしたことがない。
そろそろかなあと引き上げてスープを溶かす。どんぶりにそのままどろりと移して、あ、卵と思い至った。少し悩んで、生卵のまま入れた。まあ今日はそこそこ仕事もハードだったし、良いだろう。
それから、携帯でインスタのアプリを開く。この時間を見越して、麺は少し硬めに茹でた。目的のページに早々に飛べたとしても、麺は硬めが好きだ。問題はない。
少し前、いつの間にかアップデートされていたアプリは正直まだ慣れない。検索バーに打ち込む。カフェご飯。タグ、と選んで表示された写真たちをぼんやり眺めた。少し考え、おうちご飯、に打ち変える。また、たくさんのご飯の写真が表示された。

……よし。

「いただきます」
手を合わせる。自分が作った、インスタントラーメンとそれからインスタに表示された画面に向けて。



ああえっと、と上司の口元がもぞりと動いて、身構える。その癖はきっと無意識なのだと気付いたのは、最近だ。
嫌な人ではないのだと思う。し、そのもぞりと動いて言葉を纏める癖は自分を初めとする他人への気遣いの結果なのだろう。どう伝えるか、何を伝えるか。その言葉を纏めていく様子を見る。ただ、それはどことなく居心地が悪くてつい身構えてしまう。なんというか、言葉を挟むタイミングに慎重にならなきゃと思うのだ。
「高城、お前さ」
「はい」
もぞり、きょろり。目と口の端が動く。これはあまり目で追わない方が良いんだろうか。ただ、その微妙な動きで相手の言葉の終わりを探したい気持ちも否定できない。
「資料できたか」
「はい、先日頼まれたものなら」
「あれな、できたら取引先の追加の依頼事項入れてほしくてな」
しまった、と食い気味に重ねられた言葉に心の中で息を吐いた。ついでに言えば、上司の顔にもしまった、と書いてある。どうにも、コミュニケーションがうまくとれない。しかし半端に取れているとこう、訂正することも難しい。
「……分かりました」
「……頼むわ」
触らぬ神に祟りなし、見て見ぬふり、結果オーライ。頭の中で念じながら気が付けば私用の携帯に手が伸びた。比較的緩い会社で良かったと思うのはこういうところだ。上司も視界の端、俺が携帯を触るのが見えていないわけじゃないだろうが、特に何も言われない。
言われないけど思ってるのか。そもそも興味がないのかどっちだろうな。自分はどっちだったら良いと思ってるんだろう。そんな嫌な物思いに吐き出しそうになったため息を飲み込んで、インスタのアプリを開いた。履歴には、今朝の分が残ってる。

色とりどりの、食事たち。今朝はカフェご飯が検索ワードだったから「インスタ映え」をより意識されたものが集まってるような気がする。



最初は、ただ、自分の作った「残念なご飯」の現実から逃避しようと検索したことから始まった。視覚だけでも。何を見ようが食べるものは変わらず、インスタントの何かだったり、茶色い名前のない料理だけど。ああ、こんなに美味しそうなものがあるんだなあと思いながら飯を食うと、少しマシな気がした。何が、と言われるとうまく言葉にはできないけど。
色とりどりの料理を眺める。ハッシュタグは美味しい、や、幸せといった柔らかな言葉が並ぶ。それを見るとなんとなく、ひと心地つけるような気がする。
上司とのズレたコミュニケーションで草臥れた気持ちが少し上向いて、そのまま指を滑らせた。
インスタはほとんど使いこなせずにこうして時々料理を検索するために使っている。んだけど、最近、ひとりフォローした。だからタイムラインにはその人の投稿と、広告だけが並んでいる。というか、インスタって広告が多いよな、絶対。時々、こんな人をフォローしただろうか、と首を傾げそうになる。
とはいえ、フォローしてる唯一のその人の投稿が俺のタイムラインの大半を占めるのだ。
どこかのカフェの店員さんの投稿らしい。お店の料理や、ドリンク、それからプライベートで作ったらしい料理の写真を投稿していた。カフェの宣伝用というわけでもないのか、店のものが少し、プライベートのおそらく自宅であろう写真がほとんどだ。特に添えられるコメントもタグもほとんどなく、過剰な加工もされていないその写真たちが、いつのまにか俺のお気に入りになっていた。
「あ」
「え?」
後ろから聞こえた声に振り向けば、中曽根さんが立っていた。少し驚いた顔をしていた。
「……あ、えっと、手紙、届いてました」
「ありがとう、ございます」
昼休みに、外にご飯にでも行っていたのか。下のポストから回収してきたらしい郵便物のいくつかが中曽根さんの手には握られていた。大きな封筒を受け取ると、中曽根さんは、じっと俺の携帯を見ていた。なんとなく、気まずい。ギリギリ昼休みをとっていた、と言い訳もできるような気もするし、ただ、何一つ食事をしていた形跡もないから難しいだろうか。んん、と困っていると、バツが悪そうな顔で曖昧な会釈をして、中曽根さんは去っていった。

咎めなし、ということだろうか。そもそも、別部署で年次も一応とりあえず俺の方が上ではあるから、注意をしようとも、してなかったのかもしれない。いやでも、社会人にもなって、年次がどうのってのも幼いか。ううんと唸りながら、とりあえず、インスタのアプリを閉じた。



あれ以来、中曽根さんの視線を感じることが増えた。携帯を触ってるとそわそわとこちらを見ている。
どうしたもんだろうな、と思いながら給湯室へと逃げた。カモフラージュに持ってきた、白湯しか飲んでいないマグカップをシンクにおく。
一体、どうして、彼女は俺を見ているのか。これが漫画ならもしかして気があるんじゃ、なんてときめくところだけど、さすがにそんな夢見がちなことを思う年齢でもない。さらに言うと、職場恋愛なんて面倒事しか起こらないもの、万に一つもときめけそうにないし、そういう仮定すら、相手に失礼な気がする。
それか、と考える。あの時、インスタの画面を中曽根さんも見ていて、それで反応しているとしたら。実はあのアカウントは彼女のアカウントで、それで凝視するように俺のこと見てる、とか。
「ないない」
これも、ドラマの見過ぎだ。どう考えても。だし、あのアカウントはたぶん、カフェの店員のものだと思ってる。矛盾している。うちは副業禁止だし、絶対違う。



だけど、もしそうならどんなに良いだろう。



自分にとって、日々の楽しみの一つであるアカウントの投稿主が自分の職場にいるとしたら。しかも、その人がこんなに身近なひとなら。
それはドラマのようで、いかにも何かが始まるみたいじゃないか。
そこまで考えて、苦笑した。そんなわけがない。そんなわけがないからこそ、妄想する。
実は、と告白される秘密。もし、そうなったら自分はどうするだろう。別に恋愛としてどうこうを求めているわけじゃ無い。だけど、きっと仲良くなれるような気がしていた。そしてだとすれば、まるで小学校の時に初めて友達ができた時のように嬉しいだろうな、という予感があった。
「高城」
「はい」
名前を呼ばれて、パソコンの電源を入れる。言われた書類データを立ち上げて、指示を確認しながら数値を入力していく。
それからも、時々視線を感じたものの特に何も起こらなかった。起こるわけがない。起こらないからこそ、楽しい。


そんな毎日に少し変化が起きたのは中曽根さんが声をかけてきたからだった。帰り道、あの、と声をかけられた。きっと、俺を待っていたのだろう。それが自惚れではないのは、寒そうに鼻の頭を赤くしているから分かる。会社の入っているオフィスビルは、この時間になるとひっきりなしに人が出入りするから僅かな暖房くらいじゃどうしようもないくらい、エントランスが冷える。
「……はい」
なんだろう、何を言われてしまうんだろう。ほんの少し、緊張が走る。
「少し、お話いいですか」
「あー」
嫌とは流石に言えない。し、別に嫌なわけでもない。ただ、せめてあったかい飲み物でも飲みませんか、となんとか声を振り絞った。なんせ、中曽根さんはかなり冷えているようにも見えたし、俺としてもここで話をするのは気が引けた。どんな話をするにしても、だ。
とりあえず、と近くのマクドナルドへと足を運ぶ。コーヒーで良い?と尋ねればあ、いや、でもともごもご口を動かしたがやがて、はいと小さな声で頷かれた。二人分のコーヒー、それから念のためと一人分の砂糖とミルクをトレイに載せ、奥の方の座席に向かい合って座った。申し訳ないくらい緊張した面持ちで、中曽根さんは座っていた。
これはもしかしたら、本当にあのアカウントは中曽根さんだったりして、とよぎる。それくらい緊張しているようにみえた。ああでも、ここで期待したらきっとそうじゃなかった時、ショックだろうな。……ショックだろうか。
そんなバカなことをつらつらと考えていると、中曽根さんが小さく息を吸った。吸って、喋る。
「うらどうさん、フォローされてますよね」
うらどうさん。
それは、あのアカウントの名前だ。やっぱり、と思いながら頷く。
「ええ、まあ」
すると、中曽根さんは見て分かるほどほっと息を吐いた。緊張してたんだな、とその様子を見て改めて思う。
どうしよう、この後、実はあれ私で、と言われるのか。いやそんな漫画みたいなことはないってば。たぶん。
「実はあのアカウント」
「はい」
どんなリアクションをするのが正しいんだろう。驚く?やっぱりって言う?あんまりオーバーに反応してもやっぱりおかしいような気がする。どうしよう、そう思ってる時だった。


「私も、好きなんです」


はた、と止まった。たぶん、目はまん丸になっていたと思う。予想の斜め下からのボールだった。私も、好き。あのアカウント、とはまあ、うらどうさんのことだろう。
考え込んでいるとそんな俺の様子に気付かず中曽根さんがはにかんだ。
「うらどうさんのご飯を見てるとお腹が空いてくるというか。私、お腹すいた、って思うの好きなんです」
「俺も」
思わず、食い気味にそう言っていた。半ば、無意識に。そう、お腹すいたって思うのが好き。それだ。
「俺も。いや、お腹空いたって思うの、場合によってはしんどいけど、そうじゃなくて、ご飯を目の前にした時に『お腹すいた』って思うとすごく……すごく、安心するというか。だから、俺、よくうらどうさんの写真、飯食う時とかに見てて、それで」
はた、と喋りすぎたんじゃないか、と気付く。というか、飯食う時に飯の写真見てるとか、はたから見たら立派な奇行だろう。しまった、と恥ずかしさで顔が熱くなるが、中曽根さんはうんうん、と頷いていた。
伝わった。
そう、ポカンとしてしまう。そんな俺に中曽根さんはにっこりと笑った。会社でもよく穏やかに過ごしているけど、そんな笑顔は初めて見た。まじまじと、その顔をつい見てしまう。
「前、たまたま、高城さんの画面が見えて、そこにうらどうさんの投稿が映ってたから、もしかしてって。でも、キモいかなって迷ったんですけど、嬉しくて、我慢できなくて話しかけちゃいました」
嬉しくて、とおうむ返しに呟けばはい、と力強く頷いて、また、嬉しくてと繰り返す。分かる気がした。嬉しい。きっと、この胸の奥でじわじわと広がる感覚はそう呼ぶのが一番しっくりくる。

やっぱり、小説のようなことは起きなかった。うらどうさんの正体は中曽根さんじゃなかったし、中曽根さんは俺に想いを寄せてたりしなかった。
だけど、そんな物語のような出来事よりも、もっともっと、素敵なことが起こったような気がする。


「おれも、うれしいです」
笑い合った。その「嬉しい」は、小学校の時に初めて友達ができた時のように……いや、なんならその時以上に、俺の心を弾ませた。